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10月20日から24日まで、広島にて「第15回記念国際交流車いすテニス大会」(2004年ピースカップ)が開催された。
一言で言うなら、まさに「天変地異」が今大会を象徴するものだった。
開催直前に訪れた大型台風23号の影響で、全国から集まる選手達の足並みが揃わない。
関門海峡大橋閉鎖。瀬戸大橋、高速道路の閉鎖。空も陸も全面閉鎖される中、それでもピースカップは開始した。
初日20日(水)は、さすがに台風のために試合を取りやめにする事も考えられたが、その後のスケジュールを考えるとそうも行かず、男子B・Cクラス、女子Bクラスのシングルス1回戦を強行することになった。強風で会場の屋根が時折大きくきしむ中、コート上では台風が来ていることを全く感じさせないほど白熱した戦いが繰り広げられていた。
会場にはインドアコートが4面あるが、競技本部からは結構離れており、嵐の中を移動しなくてはならない。結局リフト付きバスを駆使しながら選手の送迎にあたった。
何より、選手の送迎にあたっていた会場ボランティアの方々には本当に頭の下がる思いだった。カッパなど無用の長物となるほどの嵐が吹き荒れる中、びしょびしょになりながら選手や競技用車いす、用具を運搬していく。
ボランティアは、会場整備、選手サポート、競技進行、語学アシストと4つのグループに分かれ、大会前の準備日も含め6日間で延べ900人をこえる数だった。ここ数年来、ボランティアによる活動もノウハウがたまってきており、みんながとてもスムーズに効率よく、そして楽しみながら参加して頂いている。おかげで、選手も試合に集中できている。今大会の成功は何よりもこのボランティアの方々のおかげである。本当に感謝したい。
21日(木)大会2日目。台風一過で昨日とは打って変わってまぶしい太陽が復活した。この後最終日の日曜日までこの好天は続き、大会は順調に進行した。
しかし、今度はコートに台風が吹き荒れた。
男子メインドロー・シングルスで、加藤和孝選手(宮城)はシード選手をことごとく破り、接戦をものにして決勝までコマを進めた。必殺バックスライスを武器に、早い展開でどんどんポイントを重ねていく。元々ナショナルチームにも入ったほどの実力者だ。決勝では、パラリンピックにも出場した世界ランキング17位のリー選手(韓国)に2年ぶり2度目の優勝を許したものの、すがすがしい躍進ぶりに感銘を受けた。11月末のマスターズ大会にも堂々のトップシード入りである。益々の活躍を期待したい。
女子では、パラリンピックでダブルス4位となった八筬選手、大前選手が5月の神戸オープン以来の国内大会への参加となった。両選手が不在の国内大会では3大会連続優勝の岡部選手(徳島)がトップシードの八筬選手をフルセットに追い込む素晴らしい試合となった。決勝はパラリンピック出場同士の対戦となったが、苦戦をものにした八筬選手が大前選手を一蹴し、2年ぶり2度目の優勝を飾った。
クァードクラスでは、パラリンピック出場の第1シード當間選手と昨年優勝台湾のファン選手との間で決勝戦が行われた。フルセットに及ぶ接戦だったが、フォアハンドの強打と多彩なボール運びを得意とするファン選手が攻め続け、2連覇を成し遂げた。
大会最終日には、新潟中越地震が起きた。新潟在住プレイヤー仲間も多く、我々も大変心配をしていた。
さらには翌日、海外選手がそれぞれ帰国する中、何と台風24号が台湾に居座り、台湾選手たちは空港で約7時間の足止めをくらった挙句にようやく無事帰国することができたそうだ。
15回という節目を迎える今回は追悼の大会でもあった。この記念大会を迎える前に、第1回目から御尽力頂いた大切な人が亡くなられたのだった。日本女子テニス連盟広島県支部の牧原由美子さん、そして、事務局長だった寺田龍弘さんだ。お二人の精神が生き続ける本大会は、コートの中ではより高い競技性を求める向上心と、コートの外では参加者たちのアットホームな温かさに包まれた大会である。今後ともさらに愛される大会として発展するための努力を行なうとともに、お二人には心より感謝と御冥福をお祈り申し上げたい。これからも天国から見守っていてくれることを願って。
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